日本の美術のなかでも、「襖絵」や「屏風絵」は、空間と一体となって美を紡ぎ出す独特な芸術です。光の変化や時間の流れとともに表情を変え、見る者を深い世界へと誘います。本企画では、現代を代表する三人の絵師に焦点を当て、彼らが筆を通じて表現する世界観と、伝統を現代に継承する姿勢を探求します。

型染めに刻む時間の重なり ── 鳥羽美花が示す伝統技法の可能性
日本が誇る伝統技法「型染め」の世界で、独自の表現を追求し続ける染色画家・鳥羽美花。京都で培われた美意識を胸に、ベトナムで出会った熱気とエネルギーを作品に昇華させ、グローバルに活動を展開している。鳥羽が生み出す作品は、ときに水面をたゆたう光のように繊細であり、ときに街を覆う熱気のように力強い。その鮮やかな色彩と圧倒的なスケールは、観る者を唯一無二の世界観へと誘う。美術の原点、転機となった出来事、そして作品に込めた平和への願い——。伝統に根ざしながらも、常に新しい表現を模索し続けるその創作の軌跡に、耳を傾けてみたい。
はじめに、鳥羽さんの美術の原体験について 教えてください。
私の記憶にある最も古い美術体験は、3歳のころのことです。両親が仏教美術に関心を持っていて、京都や奈良の寺院によく連れて行ってくれました。なかでも印象に残っているのは、奈良の仏像ですね。再建前の薬師寺で撮影した写真を、今も大切に残しています。そう考えると、仏教美術が私にとっての美術の原点なのかもしれません。
染色画家を志されたきっかけはなんだったのでしょうか。
子どものころから、誰に言われるわけでもなく、ずっと絵を描いていました。それが、特別に得意だったのかもしれません。高校卒業後は、京都市立芸術大学の工芸科に進学しました。工学科には漆、陶芸、染織など、さまざまなコースがありましたが、なかでも染色に将来性を感じて、この道に進むことを決めたのです。
数ある染色技法のなかで、なぜ「型染め」を選ばれたのですか?
日本の染色は世界に類を見ない高度な技法と歴史があります。なかでも型染めは遣唐使廃止に伴い、蝋が外国から入らなくなり、新たな防染法として米糠の使用から始まり、日本独自の染色技法として発達してきたものです。正倉院宝物にも型紙を用いた遺品があります。この型染めは義経の籠手など武士の衣装を彩り、江戸時代からは着物に幅広く用いられてきました。私はそうした長い歴史を持つ日本独自の染色技法に大変興味を持ちました。
鳥羽さんが考える型染めの面白さとは?
型染めの工程は、一つひとつが独立しています。作品がどんな風に仕上がるかは、すべての工程を終えなければわかりません。最後、水洗いで糊を落としたときに、ようやく完成した作品と出会えるのです。この「前に進むしかない」という部分が、型染めの大きな魅力だと思います。全部で18工程あるのですが、次の工程に進まないと先が見えない。だから、一つひとつのプロセスを楽しみながら、時間をかけて作り上げていきます。また、一度型紙を彫り落としてしまうと、後から形を直すことはできません。まさに、一発勝負です。そうした「潔さ」も、型染めならではの面白さだと感じています。
緻密な図柄の作品が多いですが、型紙を彫るのには時間がかかるのでしょうか?
図柄にもよりますが、数カ月かかることもあります。修行や写経のような感覚ですね。型彫りをしているときによく思うのは、下絵のとおりに彫ることがあまりないということ。下絵を参考に、刀で描いている感覚に近いです。「もう少しここに勢いが欲しい」など、その場で調整していきます。
型染め特有の糊を使った防染について、糊の配合や置き方、乾かし方など、試行錯誤されたエピソードがあれば教えてください。
糊を置く作業には、実は高度な技術が求められます。型紙をどれだけ丁寧に彫っても、糊置きがうまくいかなければ、仕上がりの美しさは損なわれてしまいます。たとえば、糊が型紙の内側に入り込んでしまうと、線のシャープさが失われてしまいますし、 糊の厚みが均一でないと、乾き方にもムラが出てしまいます。厚すぎてもいけない、薄すぎても割れてしまう。そのため、糊の硬さや粘度を、描きたい図柄に応じて細かく調整していきます。この工程こそが、型染めのなかでもっとも繊細で、技術を要する部分だと感じています。
染料の選定や重ね染め、ぼかしといった技法を駆使し、どのようにして奥行きのある色彩や光の表現を生み出されているのでしょうか。
染料は化学染料を使っていて、パウダー状のものを購入しています。原色を中心に、60色ほど持っていますが、ほんの耳かき一杯の量でも、色彩がまったく変わってきます。だからこそ、色のバリエーションは無限にあって、同じ色を再現するのはとても難しい。その「無限の色彩」が、私にとっては大きな魅力です。この染料を、蒸気で定着させることで、絹 と結びつき、まるで光を放つような深い輝きが生まれます。染料は繊維の奥まで染み込んで発色するので、絵の具のように表面に乗る色とは異なり、内側からにじみ出るような色合いになります。たとえば、赤や青を重ねると、下にある色も同時に浮かび上がってくる。その偶然生まれる色の重なりや効果は、まるで魔法のようで、自分でも思いがけない表現が生まれることがあります。
なるほど、奥深い世界ですね。道具や素材選びにおいて、特にこだわっている点はありますか?
染色というのは、どれだけ手間をかけて技を尽くしても、最終的には「布」であることに変わりはありません。そのため、生地そのものの質が作品に与える影響がとても大きいのです。たとえば光沢のあるものや、表面に小さな節があるものなど、生地の特徴によって、染めの表情もまったく変わってきます。 私が最終的にたどり着いたのは、石川県の山あいにある白峰村で織られている「白山紬(はくさんつむぎ)」です。今ではこの地でしか織られていない貴重な生地で、通常は着物用ですが、特別に幅広の反物を織っていただき使用しています。
制作に入る前のルーティンがあれば教えてください。
私の1日は、朝5時頃、日が昇る前に始まります。自宅の隣のアトリエに入り、制作を始める前に、お香を焚いたり、紅茶を淹れたりするのがルーティンです。私は青を使うことが多いのですが、それも朝の光に関係しているのかもしれません。夜明け前のほんの一瞬、空が深く青く染まる時間帯がありますよね。そうした色の移ろいが、無意識のうちに作品に反映されているように思います。海外に滞在しているときも、制作への感覚を研ぎ澄ませるために早起きを心がけています。朝、街がゆっくりと動き出す気配や、人々の生活の気配、聞こえてくる音が、作品に影響を与えることもあります。
これまでのキャリアのなかで、転機になったと感じる作品や出来事はありますか?
京都の染色は、伝統を重んじる世界です。私もそれに倣い、学生時代からずっと、花鳥風月のような、いわゆる「美しいもの」を描いてきました。でも次第に、「本当に自分が表現したいものはほかにあるのではないか」と思うようになっていったのです。そんな時、たまたま訪れたのがベトナムでした。1994年、日本から初めての直行便が出たころのことで す。実際に足を運んでみると、そこには当時の私が求めていたものがすべて揃っていました。1千年に及ぶ中国の支配やフランス植民地時代の名残、豊かな自然。そして何よりも印象的だったのが、経済発展に向けて国全体が一方向に突き進んでいるような、熱気とエネルギー。日本とはまったく異なるその活気に、強く心を動かされました。
そのときの印象的な出来事を教えてください。
私がベトナムを訪れた日は、ナショナルデーで、街じゅうにたくさんの旗がはためき、ものすごい活気に満ちていました。暑さも相まって、エネルギーなのか湿気なのか判別がつかないほどの熱気が街を包んでいたことを覚えています。そのとき、「この国のエネルギーを染色に取り入れたら、きっと面白い作品ができる」と、強く感じました。ちょうど新しい表現を模索していた時期だったので、変化していく街の姿に強く惹かれたのだと思います。「いつ行っても変わらない」場所よりも、「次に行ったらなくなってしまうかもしれない」という、その瞬間のエネルギーが、私の創作意欲をかき立ててくれました。
ベトナムの風景や文化、すべてに影響を受けたということですね。
当時のベトナムは社会主義国でありながら、資本主義の考え方も柔軟に取り入れていて、「いいものは何でも受け入れる」という寛容な姿勢が印象的でした。その柔軟さが、表現に行き詰まりを感じていた私自身の気持ちと重なったのです。何かを変えようと意図したわけではありませんでしたが、あの空気に触れるうちに、自然と作品の方向性が変わっていきました。 それまで大切にしてきた「余白の美しさ」から、ベトナムの「失われつつある風景」を緻密に描き出す表現へと、意識が移っていったのです。目には見えないエネルギーや熱気をどう表現すればいいのかを考え、たどり着いたのが、点描のように細かな模様を彫り込んだ型を使い、テクスチャーとして取り入れるという新しい技法でした。ただし、どれだけ新しい表現に挑戦しても、「型を彫り、糊を置く」という型染めの基本を手放すことはありませんでした。日本の伝統技法こそが、自分にとっての原点であり、一番しっくりくる方法だと感じていたからです。
鳥羽さんの作品は、大きなサイズのものが多い印象です。作品のスケールも、ベトナムを訪れてから変化したのでしょうか?
まさにそうだと思います。ベトナムで初めて現地に降り立ったとき、その風景を全身で感じ取りたいという強い衝動が生まれました。その感覚をそのまま作品に込めたいと思った結果、自然とスケールの大きな作品へと移行していったのだと思います。今も、私が現地で実際に体験した空気や光を、鑑賞する方に少しでも共有していただけるようにと、そのスケール感を意識して制作しています。
空間における絵の役割をどのように捉えていますか?
「用の美」、つまり実用性と美しさを兼ね備えたものが重要だと考えています。襖絵や屏風絵がその象徴的な存在です。屏風は折りたたんで移動できるため、置くだけで空間に新たな表情を生み出せる点が魅力です。実際、ベトナムでの展示では、広い会場に屏風を立てただけで、そこが一瞬にして展示空間へと変わりました。絵画の展示には通常壁が必要ですが、屏風であれば、窓しかない場所でも自ら展示スペースをつくり出せます。
絵のなかに、時間の流れを内包することは可能だと思いますか?
ベトナムを訪れたときに強く感じたのですが、ベトナムの街並みには、1千年にわたる中国の支配時代やフランス植民地時代の影響が残り、そして独立後の活気ある光景が混在しています。さまざまな時代の風景が、そこに凝縮されているのです。もしそこに人物を描いてしまうと、鑑賞者の視点がその人物の属する時代や背景に引き寄せられてしまい、作品全体に流れる「時間の層」を感じにくくなるのではないかと思いました。あえて人物を描かないことで、見る人それぞれの感性で時間の流れを読み取ってほしいと考えています。
伝統と現代性を融合させるうえで、意識されていることはありますか?
現代的にしようとは意識していません。ただ、今自分が表現したいもの、目の前にあるものを素直に描いているだけです。しかし、日本が培ってきた伝統技法は非常に大切にしています。もっと簡単に描ける画材はたくさんありますが、あえて伝統技法にこだわり、どこまで可能性があるかを追求したいと思っています。正倉院宝物の研究者の論文によれば、奈良時代にはすでに現在私たちが可能なほとんどの技法が完成されていたそうです。技法はすでに出尽くしており、成熟を通り越して退化しているとさえ言われることもあります。何もない時代にあれほど素晴らしいものを生み出したことは、本当に驚くべきことだと感じます。だからこそ、その成熟した技法を現代に生きる画家として継承し、伝えていくことに意義があると考えています。大学で教える際も、学生たちにその思いを伝えています。
現代の染色画家として、ご自身の存在意義をどのように考えていますか?
海外で活動していると、日本の染色作品がどのように評価されているのか、この技法がどれほど重要なのかを改めて感じることがあります。布を染める職人や、糊を作る職人、そして表具師など、多くの職人に支えられてひとつの作品が生まれます。だからこそ、展示会を開催する際には、そうした方々もきちんと紹介し、技が途絶えないようにお互いを励まし合いながら、伝統を守っていくことが大切だと考えています。
若い世代に受け継いでいきたい、染色画の本質とは?
少し哲学的な話になりますが、染色画の本質は「人の一生」に例えられると思っています。人は生まれたとき、真っ白な布に包まれます。そして、成長とともに、さまざまな色や柄の布を纏い人生を歩んでいく。そして最期はまた、白い布に包まれて一生を終えます。染色という技法は、まさにこの、人が生まれてから死ぬまでの間に遭遇する、その時々の経験や出来事を色で表現しているように思うのです。人生の節目節目を、さまざまな色をまとって歩んでいく。その様子が、染色画と重なるように感じています。
作品を通して、社会や人にどのような問いかけをしたいですか。
お寺に納めた作品が何百年先にも残る可能性がある、そんな未来を信じて作品制作に打ち込んでいます。今、私たちは世界に様々な紛争がある時代を生きています。何百年、何千年先の未来に生きる人々が、私の作品を平和な環境で見られるようにあってほしい。作品を通して、そうした平和への願いを伝えたいと思っています。
掲載作品について
開山栄西禅師8百年大遠諱に建仁寺に奉納した襖絵 「凪」〈Part1の記事の作品〉と「舟出」〈上記作品〉この世のものが巡り合い、流れ、戻りくる様を禅寺の空間のなかにデザインしたものです。「凪」は朝開けきらぬ墨絵のような静寂に支配された凪の世界を描き、「舟出」は光が差し込んだ朝、舟出した水面にさざなみが辺り一面に広がり、冴え冴えとした 空気に包まれる世界を染めたもの。精霊の山に近づくにつれ、僧侶の読経がこだまし、永遠の凪の世界が待っているような世界を表現しました。
PROFILE
染色画家
鳥羽美花 Mika Toba
京都市立芸術大学大学院修了。日本独自の染色技法である「型染め」を駆使し、新たな染色絵画の世界を切り開いた。1994年に初めてベトナムを訪問して以来、経済発展と共に失われてゆくベトナムの光景を描いた一連の大作を制作し、ベトナム政府より「文化功労賞」を授与される。国内では「都市文化奨励賞」「京都市芸術新人賞」など19の賞を受賞した他、これまでの文化活動が日越友好関係増進に寄与したとして外務大臣表彰を受賞。
Edit:RYOTA KOUJIRO Text:SUI TOYA
