BEYOND WORDS 絵師が織りなす空間の芸術

COLUMN

日本の美術のなかでも、「襖絵」や「屏風絵」は、空間と一体となって美を紡ぎ出す独特な芸術です。光の変化や時間の流れとともに表情を変え、見る者を深い世界へと誘います。本企画では、現代を代表する三人の絵師に焦点を当て、彼らが筆を通じて表現する世界観と、伝統を現代に継承する姿勢を探求します。

暮らしに溶け込む美 ── 伊東正次、襖絵がひらく空間芸術

日本画の伝統と現代の感性を融合させ、襖絵という空間芸術を追求する画家・伊東正次。幼少期から日本画と共に育ち、一度は現代美術の表現に進むものの、再び日本画の奥深さに惹かれて戻った。伊東が描く襖絵は、生活空間に自然と溶け込み、鑑賞者を包み込むような豊かな時間をもたらす。その創作の根底にあるのは、「アートは美術館の中だけのものではない」という揺るぎない信念。伝統を尊びつつも新たな美の可能性を模索する、その創作の軌跡と深い思想に触れてみたい。

美術の世界に入ったきっかけについて教えてください。

父が日本画を描いていたため、自然と美術の世界に入っていきました。子どものころからずっと、絵を描いたり、工作をしたりすることが当たり前だったんです。ただ、日本画の画材に実際に触れたのは、大学に入ってからでした。もちろん、家で父が膠(にかわ)を炊くのを見てはいましたが、触らせてはもらえませんでした。

ーー大学で日本画を専攻されたものの、大学院を卒業した後は、現代美術の方に進まれたそうですね。

父の影響で日本画を専攻したのですが、大学で学ぶうちに、どこか閉鎖的な空気に違和感を覚えるようになりました。「本当に日本画でいいのかな?」 と迷い始め、次第に現代アートの表現に惹かれていったんです。卒業後は、インスタレーションやオブジェといった作品づくりに取り組んでいました。

再び日本画に戻ったのはなぜですか?

きっかけは、大学の同級生からの1本の電話でした。「銀座の松坂屋で『たまたま3+1展』という展覧会をやるんだけど、参加しない?」と誘われたんです。当時の僕は、すでに日本画からは離れていましたし、百貨店の日本画展といえば、昔ながらの日本画家が作品を出すものというイメージが強かった。だから、やんわり断るつもりで「立体作品で良けれ ば出すよ」と返したんです。普通なら、それで断られるはずですよね。でも、彼はそれをそのまま、展覧会を主催していた伊藤髟耳(ほうじ)先生に伝えてくれました。すると伊藤先生は「立体を出すの? じゃあ展示場所を考えなきゃな」と、まったく否定せずに前向きに受け止めてくださったんです。その話を聞いた瞬間、ハッとしました。伊藤先生は、「院展」の中心にいるような、日本画の世界で大きな存在。その先生が、僕の立体作品に対しても真剣に向き合ってくれた。そのとき、閉鎖的なのは日本画の世界ではなく、現代アートの方がかっこいいと決めつけていた、自分自身の方だったと気がつきました。

そのことがきっかけで、日本画への復帰を決意されたのでしょうか?

展覧会は同じメンバーで3年間続けると決まっていたので、この機会に、自分なりの視点で日本画と真剣に向き合ってみようと思いました。かっこ良く言 えば、「けじめをつけよう」と。日本画を辞めるにしても、一度きちんと取り組んでからにしよう、と考えたんです。そうして3年間取り組んでみたら、これが思いのほか面白くて。「ああ、自分がやるべきこ とはこれなんだ」と思えるようになりました。

展覧会にはどんな作品を出品されたのでしょうか?

最初の年は、岩を描きました。翌年はサボテン。そして最後の年は、日本画といえば桜だろうと、王道に挑戦しました。日本人にとっておなじみのテーマで描いてみたからこそ、日本の伝統的な絵が持つ魅力に入り込んでいけたのかもしれません。

伊東さんが考える、日本画ならではの特徴は何ですか?

日本画には、骨描き(こつがき)という、絵の彩色を始める前に墨で描く輪郭線があります。これは、線を消していく西洋の文化とは異なり、線で形を捉えるという部分が大きな特徴です。日本画だけでなく、中国や東洋に共通する線の芸術が、僕らのDNAに深く根付いていると感じます。最近、ふと考えることがあるんです。日本画を描く人と、漫画やアニメを描く人、どちらがより日本的なんだろうかと。もしかしたら、漫画やアニメの方が、江戸以前の絵画文化を、現代にうまくリメイクして提示しているんじゃないかと思うんですよね。漫画って、線が重要じゃないですか。筆は使わなくても、ペンのタッチは筆に似ています。物語を展開する手法も、日本の絵巻物と通じるものがある。現代の日本画よりも、漫画家やアニメーターの方がよっぽど日本的かもしれない、と思うことがあります。

面白い視点ですね。襖絵を描き始めたのは、いつ頃からですか?

「日本画といえば、やっぱり襖絵だろう」と、ちょっと短絡的に考えたんですよね。というのも、それまでずっと、額縁に入れて展示する“タブロー”のスタイルに、どこか違和感があったんです。あの形式は、もともとギャラリーから生まれたものですし。その点、空間全体に広がっていく襖絵の表現は、自分にとってすごくしっくりきました。

襖絵だからこそできることや、見せられる世界観とは?

やはり、一番は「空間」ですね。襖絵は空間全体を囲むように存在していて、見る人は絵と対峙するのではなく、その場の空気ごと感じるようになります。絵だけで完結するのではなく、空間全体をひとつの世界として味わってもらうイメージです。もともと日本の美術には、床の間に飾る「床の間芸術」のように、生活の中に自然と溶け込む文化がありました。例えば、盆栽や掛け軸、石などが一体となって、ひとつの世界観をつくり上げていたんです。僕自身も襖絵を通して、絵を暮らしの空間の中に取り入れ、楽しんでもらう方法を追求していきたいと考えています。もちろん、美術館の存在も大切ですが、それだけでは伝えきれないものがあると思っています。

制作のプロセスについてもお伺いします。題材はどのように選ばれていますか?

スケッチをしているときに、「これを次の作品にしよう」とはあまり考えないようにしています。ちょっと大袈裟かもしれませんが、「呼ばれる」という感覚に近いです。こちらが準備だけしておくと、天から、あるいは知り合いから、自然と話が舞い込んでくる。そんな風に巡ってきた題材に、身を任せて描くことが多いですね。

題材に「呼ばれる」ことに関して、具体的なエピソードがありましたら教えてください。

2011年の東日本大震災が起きる少し前、2月に『散華図』という絵を描きました。それまで一度も手がけたことのない題材で、枯れた花が静かに散っていく様子を描いたものです。その絵は2月中に完成し、3月半ばには展覧会に出品しました。そして4月、会場を訪れたときのことです。震災後の計画停電の影響で、薄暗くなった部屋のなかに、その『散華図』が静かに展示されていました。その光景を目にした瞬間、自分でも「なぜこんな絵を描いたのか」がまったくわからなくなってしまって……。けれど同時に、どこかで「描け」と促されたような、不思議な感覚もあったんです。それ以来、毎年、散華図を描き続けています。

なぜそのタイミングで散華図を描こうと思ったのか、不思議ですね。

そうなんですよね。僕が何かを描きたいというよりも、社会が求めている、世に出たがっているものを、僕という体を通して形にしているような気がします。表現したがっている「何か」を捉えて、それを絵にする。そういうイメージで描けたら一番いいと思っています。

制作時のルーティンはありますか?

ルーティンではありませんが、制作中は、絵の横で眠ることがいちばんです。ふと目が覚めたらそこに 絵があるなど、生活の中に絵がある状態が理想です。食事中も、別のことを考えながら絵を眺めていると、ふと見えてくるものがある。そういう時間がすごく大切です。

襖絵を1枚描くのにどのくらいの時間がかかるのでしょうか?

大きい作品の場合、取材期間を含めるとだいたい1年くらいかかります。実際に描き始めてからは、4〜 5カ月ほどです。小さい絵なら、50号サイズで2週間から1カ月くらいで仕上げます。

制作以外で、ライフワークにしていることはありますか?

描きたいモチーフを探しに、いろいろな場所へ足を 運んでいます。桜や松、イチョウなど、名木を巡っていた時期もありました。最近はなかなか行けていないのですが、また時間を見つけて、巡りたいですね。

取材先で自然のさまざまな様子に触れることで、環境問題などについて考えるきっかけになることはありますか?

最近は、特に天然素材について考えるようになりました。日本画の材料は、土に埋めても自然に還るものがほとんどです。一方、僕が使うこともあるアクリルは、燃やすとガスが出てしまいます。天然素材の重要性を再認識しています。先日、広島の被爆樹木を描くプロジェクトで、ホテルのシーツを再生して和紙を作る「サーキュラーコットンファクトリー」という一般社団法人の紙を使わせていただきました。アートは、こうした活動の広告塔にもなれるんだと実感しましたね。大量消費・大量廃棄の時代ではないので、アートも循環型であるべきだと考えています。

伊東さんはこれまで、さまざまな表現者の方 とコラボレーションをされてきました。そのなかで、特に印象に残っているものはありますか?

能楽とのコラボレーションは本当に面白かったですね。通常、能舞台の背景には、松の絵が描かれた「鏡板(かがみいた)」があるのですが、その前に富士山を描いた襖絵を置きました。能楽師の方からすればマナー違反かもしれませんが、能楽師や邦楽家の方たちと一緒にひとつの作品を作り上げたんです。能楽堂は、舞台全体を明るく照らす照明が 一般的ですが、僕はそれが違うと感じました。昔の能舞台では、松明(たいまつ)の光だけで演じられていたこともあったはず。そこで、あえて舞台をほぼ真っ暗にしました。能面は5ミリほどの小さな穴しか開いていないため、能楽師の方からは「こんな暗い中では歩けない」と言われましたが、勘に従って動いていただきました。暗闇のなかで、誰が何をしているか分からないような状態をあえて作り出し、能本来の雰囲気を取り戻す試みは、絵を描くのとは違う面白さがありましたね。

なるほど。地元の愛媛県でも、さまざまな活動をされていますね。

愛媛にある「上黒岩岩陰遺跡」からは、約1万4500年前の日本最古の絵画が20点ほど見つかっています。硬い石を削って描かれた、女性のビーナス像です。当時の出産は命がけだったので、安産のお守りとして持たれていたのではないかと言われています。この貴重な遺跡をもっと多くの人に知っていただきたくて、昨年は、愛媛の古民家で、障子絵を描くイベントを開催しました。縄文時代の女性や動物たちを障子に描き、後ろからぼんぼりの光で照らすというものです。昔の絵画が現代の空間に蘇る、そんな試みをしました。描いた絵を見てもらうだけでなく、アートが社会でどのように役立てるか、そのお手伝いができたらいいと常に考えています。

今後、挑戦してみたいことを教えてください。

3つあります。1つ目は、「日本美術館」を作ることです。畳や襖絵、床の間があって、床や椅子に座ってゆっくりと作品を楽しめるような場所です。国立の日本美術館は、まだ存在しません。東京国立博物館も、展示物は日本のものでも、見せ方はヨーロッパ式です。美術館というシステム自体が西洋から来たものなので仕方ない部分もありますが、海外からの観光客だけでなく、未来を担う若い世代にも日本の文化をちゃんと伝えていきたいですね。

座って鑑賞するスタイルは、作品との新たな向き合い方を生みそうです。2つ目は?

2つ目は、アートを社会で循環させる仕組みを作ることです。現在、日本で制作されるアート作品の9割は倉庫に眠っていて、作家が亡くなれば処分されてしまいます。そうした作品を、病院や公共施設、企業など、多くの人の目に触れる場所に飾って楽しんでもらう。そして、どうしても置き場所がない作品は、きちんとお焚き上げなどで供養して処分する。正直なところ、アートは供給過多で需要が追いついていません。ギャラリーでの売買だけで機能している現状では、需要は増えていきません。

アート作品を単なる商品ではなく、社会の中で生かしていくという提案は素晴らしいですね。

ぜひ実現したいです。3つ目は、日本の伝統美術を広めるコンクールを開催することです。社会がグローバル化していくと、世界中どこへ行っても同じような景色になり、多様性が失われてしまうでしょう。それは便利な反面、少し寂しいことでもあります。文化や考え方が多様であることは、平和的に共存していく上でとても大切です。日本の伝統美術を広めることで、文化の多様性を守ることに貢献できたらいいと考えています。

現代における日本画の立ち位置について、どのようにお考えでしょうか? また、今後の日本画の可能性についてもお聞かせください。

世界では、日本の文化といえばアニメや漫画が圧倒的な人気ですよね。それらのルーツは、平安時代の絵巻物だと言われています。伝統的な文化がそれらを育んだのだとすれば、その原点である絵画や書の中にも、きっとユニークな美しさを見つけられるはずです。漫画やアニメを入り口にして、一歩踏み込んで日本の伝統的な文化に触れてもらえたら嬉しいです。先日、中国から来た子供たちを対象に日本画のワークショップをしたら、みんな漫画やアニメが大好きで。鳥獣戯画の筆での模写と、スラムダンクのペンの模写を両方体験してもらいました。奇しくも、前日に、スラムダンクの舞台になった場所に行ったばかりだったそうで、とても盛り上がりました。そのように、子供たちが大好きな漫画やアニメから、日本の伝統的な文化へと興味が広がっていくといいと思っています。

若い世代に受け継いでいきたい、アートの本質とは何でしょうか?

アートを通じて、自分の育った町や文化を自分なりに感じ、考えることだと思います。アートの世界は、ギャラリーで売れるか、公募展で評価されるかといった、非常に狭い価値観で捉えられがちです。でも、アートにはもっと大きな広がりと可能性があることを伝えたいです。これからの時代、日本人は自国の文化を知り、それを実践し、楽しむことが大切になるのではないでしょうか。ただし、その文化が対立の道具になっては意味がありません。若い人たちに知ってほしいのは、文化とは互いを尊重するためのものだということです。特定の文化が優れていると主張するのではなく、お互いの違いを認め合うことが重要だと考えています。

掲載作品について

「楓図屏風」 日本人は古来より季節を大切にしました。これから冬が訪れ、世界が白とグレーの世界に移行する前 に、短い紅葉の季節が訪れます。その真っ赤に染められた紅葉を愛でて季節の移ろいを感じながら、人々はお茶会や宴(うたげ)に興じました。華やかな金屏風と楓の赤が日本の古い家屋の中を明るく照らし出します。

PROFILE

日本画家

伊東正次 Masatsugu Ito

日展会員。一般社団法人ART JAPAN和SOCIETY代表理事。多摩美術大学日本画科在籍中、日本画家の加山又造、米谷清 和に学ぶ。大学院終了後オブジエやインスタレーションを制作する。 院展同人伊藤髟耳との出会いをきっかけに日本面に戻ることに。 樹木や花をテーマにして襖絵を描き始める。その後、コンクールや個展、グループ展などで発表。現在は日展に所属しながら、美術館、ギャラリーなどと共に、古民家、ホテル、寺社、高齢者施設などの公共スペースなどで襖絵を展示。 生活に身近な場所での展示をめざし、普段、美術館に足を運ばないような人々に日本画を楽しんでもらえるような機会を模索している。

Edit:RYOTA KOUJIRO Text:SUI TOYA