BEYOND WORDS 鉢に重なる、百年の景色

COLUMN

盆栽は、小さな鉢のなかに自然の風景と長い時間を映し出す、「小宇宙」とも表される芸術です。何十年、時には何百年と受け継がれ、その姿に想いや物語が重ねられていきます。本特集では、盆栽の境界線を押し広げる2人に注目し、盆栽の現在とこれからの可能性を探ります。

枯れても終わらぬ物語——鈴木辰が提示する再生の美学

何十年、時には何百年もの時間を刻んだ幹や枝は、寿命を迎えたあともなお、圧倒的な存在感を放つ。盆栽アート作家の鈴木辰は、そこに新たな美の可能性を見出し、「終わり」を次の物語へと接続する。それは、盆栽という文化が内包してきた時間そのものを問い直す試みだ。鈴木は、なぜ枯れた盆栽に向き合うことを選んだのか。再生盆栽アートは、伝統の延長線上にあるのか、それともまったく異なる表現なのか。その思考と実践を紐解いていく。

INTERVIEW

鈴木さんが盆栽に初めて心を動かされたのはいつでしたか?

きっかけは、世界を旅していた20代の頃です。新卒でアパレル企業に就職しましたが、社員旅行で初めて海外を訪れたことを機に「もっと外の世界を見たい」という衝動を抑えられなくなりました。大学でランドスケープ・デザイン(景観設計)を学んでいたこともあり、世界各地の自然美を自分の目で確かめたかったんです。約3年かけて、33カ国を巡るなかで印象的だったのは、各国で出会った人々から「日本のBONSAIはクールだよね」と何度も声をかけられたことでした。盆栽は“Japanese BONSAI”として、すでに世界的なブランドになっている。外からのまなざしを通して、盆栽が日本を代表する文化であることを改めて実感しました。そこから盆栽の歴史や精神性を学び始めたことが、すべての始まりでした。

「再生盆栽アート」にたどり着くまでの経緯を教えてください。

帰国後はアパレル分野で独立し、盆栽をプリントしたTシャツを販売するなど、ファッションと盆栽を掛け合わせる可能性を模索していました。しかし、実際に盆栽業界に触れるなかで、高齢化や後継者不足、優れた作品の海外流出といった厳しい現状も知ることになりました。海外では高く評価されている一方で、日本では「手入れが難しそう」というイメージが先行している。そのギャップを埋めるために、伝統文化に新しい価値観を吹き込む方法はないかと考え始めたんです。そんな折、ご縁のあった盆栽園から「枯れてしまった盆栽を処分するが、引き取らないか」とお声がけいただきました。植物は生き物ですから、どれほど大切に育てても、いつかは寿命を迎えます。しかし、何十年、何百年もかけて培われた幹や枝の造形は、枯れてもなお圧倒的な力強さを放っています。その姿を前に「これをただ捨ててしまうのは、あまりにもったいない」と感じました。そこで、枯れた盆栽をベースに、特殊な技法でプリザーブド加工を施した新たな葉を再構築し、室内で楽しめるアートピースに仕立ててみたところ、予想以上の反響をいただきました。SNSでの発信を通じて共感の輪が広がり、次第に盆栽園とのつながりも増えていったんです。

個人での活動をきっかけに、現在所属されている「株式会社TAIZAN」とのご縁が生まれたのでしょうか?

はい。TAIZANには「侘び寂びラグジュアリー」という哲学があります。それは、TAIZAN創業者・戸谷太一が、侘び寂びを“自然×時間の美”として宇宙的スケールで再定義し、ラグジュアリーへと昇華させた思想です。その唯一無二の審美眼に触れた瞬間、私は深い共鳴と衝撃を覚え、「TAIZANグループのブランドとして世界を目指す」ことを決意しました。現在は、同社の再生盆栽アート事業部「WITHERS(ウィザーズ)」の責任者兼作家として、盆栽アートの価値を高めていくために奔走しています。

素材となる「枯れた盆栽」を選ぶ際に重視している点は?

根底にあるのは、「盆栽の歴史と想いをつなぐ」という考え方です。そのうえで大切にしているのは、盆栽ならではの造形が際立っていること。特に幹の捻転や美しい曲がりは、長年の手入れの賜物です。そうした「盆栽の醍醐味」が明確に表れている個体を選びます。一方で、作品としては扱いきれない素材も、できる限り生かしたいと考えています。その取り組みのひとつがワークショップです。枯れた幹を素材に、プリザーブドの葉を用いて、参加者自身が盆栽をアートとして再生させる。手に取りやすい価格で体験できる場を設けることで、より多くの素材をよみがえらせたいと考えています。

「盆栽の歴史と想いをつなぐ」という言葉が印象的です。お客様から依頼を受ける際には、盆栽に手を尽くしてきた背景も伺うのでしょうか。

素材の多くは盆栽園から譲り受けていますが、個人のお客様からのご依頼の場合は、必ず思い出や背景をお聞きします。最近では、ある飲食店オーナー様からご相談を受けました。開店祝いに贈られた立派な盆栽を大切に管理されていましたが、恐らく屋内に長期間設置していたため、やがて枯れてしまったそうです。「大切な方からの贈り物なので捨てられない」と伺い、再生盆栽アートとして新たな形に生まれ変わらせることをご提案し、その作品は、これから新たな店舗の象徴的なディスプレイとして受け継がれる予定です。贈った方の思いと、受け取った方が重ねた時間。その両方を内包して次へと受け継いでいく。これこそが、私が実現したかった活動だと確信した出来事でした。

制作過程で、最も神経を使う工程はどこですか?

まずは素材の下処理です。長い年月を小さな鉢の中で過ごした盆栽は、無数の細根が土をからめとり、密に圧縮され、ひとつの固い塊のような状態になっています。特に枯れた盆栽は長く放置されることもあり、大きなスコップで崩さなければならないほど、土が硬くなっている場合もあります。しかし、無理をすれば幹肌や枝、根を傷つけてしまう。とりわけ根張りの美しさは盆栽の大きな魅力なので、それを損なわないよう慎重に土を落とし、幹肌を整え、その盆栽が持つ本来の造形美を引き出していきます。時間も労力もかかる工程ですが、作品の印象を決定づける大事な作業です。文字通り泥にまみれながら、かつて育まれた姿を丁寧に引き出していきます。

プリザーブド加工の工程についても教えてください。

葉をプリザーブド加工する際は、基本的に根から溶液を吸わせるのが一般的ですが、花に比べて葉は溶液が染み込みにくく、技術的にも確立された方法がほとんどありません。私自身も、始めた当初は試行錯誤の連続でした。溶液の配合を変え、屋外と屋内の環境差を検証し、浸漬時間を調整する。植物の構造を学び直して、「水はどう吸い上げられるのか」「蒸散を促すにはどうすればいいのか」といった基礎から理解を深めていきました。そうした積み重ねの末、葉の先端まで均一に溶液を行き渡らせ、しなやかな質感のまま保存できる状態にたどり着きました。ここまで仕上げられれば、半永久的に同じ状態を保つことができます。とはいえ、盆栽には個体差があり、同じ条件で行っても成功するものとそうでないものがあります。生き物であるからこそ、すべてが同じにはならないんですね。さらに難しいのは、形の違いです。盆栽自体はもちろん、葉一枚をとっても形や密度はさまざま。そうした”ばらつぎ”を、いかに作品として調和させるか。素材の個性を見極め、全体の造形に溶け込ませていく工程は、作家として最も集中力を要する部分です。

その「コントロールできなさ」も、作品の魅力につながっていますか?

そう思います。プリザーブド液に色を加えることがありますが、吸い上げ方によっては思いがけないグラデーションが生まれることがあります。古い葉は吸収が弱く、若い葉だけが鮮やかに染まるなど、予測できない変化が現れる。その偶然の色合いが美しいと感じた場合は、あえて手を加えず、そのまま作品に取り入れることもあります。すべてを制御するのではなく、素材が持つ個性を受け入れる。その姿勢もまた、盆栽という存在への敬意だと考えています。

盆栽の伝統的なルールとご自身の個性をどのように両立されていますか?

盆栽には、美しく見せるための明確な作法があります。幹を主役に据え、枝葉で「棚」をつくり、層と層のあいだに余白を設ける。そうすることで、造形の魅力が最大限に引き立つとされています。私もその理論を理解し、尊重しています。ただ、生前の姿を忠実に再現するだけでは、アートとしての表現が弱くなってしまう。例えば、前に伸びて幹を隠してしまう突き枝は「忌み枝」として落とすのが一般的ですが、あえて残し、正面に葉を配することもあります。幹の存在感と葉の表情を拮抗させることで、新たな緊張感や現代的な印象が生まれるからです。伝統を踏まえたうえで、どこを守り、どこをあえて逸脱するか。その選択こそが、私自身の表現なのだと思います。

完成形は、素材を見た瞬間に思い描けるものなのでしょうか。

手を動かしながら探っていくことが大半です。盆栽も葉も、一点ごとに形状も質感も異なります。組み合わせては外し、また置き換える。その試行錯誤を重ねるなかで、ある瞬間に「これだ」と腑に落ちる配置が現れます。小さな作品であれば、稀に数十分で決まることもありますが、素材の魅力が強いほど、その良さを損なわない位置を探るために、何時間も何日も費やすこともある。素材の力を最大限に引き出せる配置を見つけるまで、粘り強く対話を続けるような時間が続きます。

作品づくりのなかでさまざまな失敗を重ねられてきたと思いますが、それによって得た気づきはありますか?

自然を相手にしている以上、自分の意図だけで完結させてはいけないということです。再生盆栽アートを始めた当初は、「自分がどう表現したいか」という思いが先行していたかもしれません。しかし、経験を重ねるうちに、「素材が何を求めているか」に耳を澄ますようになりました。幹や枝にはそれぞれ歴史があり、葉には葉の性質がある。変えられない前提を受け入れたうえで、自分にできることを探す。そうした姿勢へと、自然に移行していきました。

これまでの作家活動のなかで、印象に残っている作品やプロジェクトはありますか?

美濃和紙ブランド「KIKKA」とのコラボレーションは、特に記憶に残っています。再生した幹に、美濃和紙で制作した桜の花をあしらい、ひとつの桜盆栽として仕上げました。花は、和紙職人の方が一輪ずつ丁寧に手がけたもので、その精緻さには心を打たれました。私は現在、岐阜県可児市を拠点に活動しています。岐阜は美濃和紙をはじめ、飛騨の木工や美濃焼など、職人文化が息づく土地です。同じ土地に根ざす伝統同士が交わることで、新たな表現が生まれる。その可能性を実感できた取り組みでした。地域の技術や精神を現代のかたちで接続し、次世代へとつないでいく。今後もそうしたコラボレーションを重ねていきたいと考えています。

鈴木さんは、世界初の「光盆栽」や「アロマ盆栽」なども開発されていますが、光や香りといった要素を取り入れる理由はなんでしょうか。

「光盆栽」と「アロマ盆栽」は、TAIZANオーナー戸谷太一の発想から生まれました。その原点にあるのは、“盆栽を五感で再構築する”という戸谷の想いです。光と香は、生きている盆栽では決して踏み込めない領域です。固定観念にとらわれず、“遊び”を創造に組み込む戸谷は、移動式茶室の外壁に盆栽アートを掲げて街を駆けるなど、発想そのものが既存の枠を軽やかに飛び越えています。しかし、その根底には伝統への深い敬意があります。既存の枠を超え、これまで盆栽に関心がなかった方の感性にも火を灯すため、光盆栽とアロマ盆栽は生まれました。

盆栽文化のどのような部分を次世代に残したいと考えていますか?

私たちがつなぎたいのは、歴史と、その背後にある想いです。盆栽には、何十年、何百年という時間が折り重なっています。日々の水やりや手入れといった、気の遠くなるような積み重ねがあってこそ、美しい造形が生まれる。その時間の尊さに、価値を見出す人が増えてほしいと思っています。さらに、枯れたあとも物語が続くという視点は、盆栽の格をより高めるものだと考えています。その魅力を伝えるために、私にできることは、率直に言えば「かっこいい作品をつくる」ことです。思いを語ることも大切ですが、まずは興味を持ってもらわなければ始まりません。盆栽がいちばん美しく見える形で提示すること。作家として、そこに強い責任とこだわりを持って取り組んでいます。

今後、挑戦したいテーマやコラボレーションがありましたら教えてください。

盆栽園と協働し、再生盆栽アートと生きた盆栽を並置する展示を構想しています。盆栽はもともと、生と死が密接に結びついた文化です。ジン(神)やシャリ(舎利)など、あえて幹や枝を枯らして見せる技法もあります。しかし、全体が枯れたあとの物語まで描こうとする試みは、これまでほとんどありませんでした。そこに新しい可能性があると感じています。生きた盆栽と枯れた盆栽を同じ空間に置くことで、命の循環や時間の連なりを可視化し、盆栽の新たな魅力として発信していきたいと考えています。

掲載作品についてお教えください。

「雪影(せつえい)」 冬を象徴する静謐な白を基調に、雪の重みで枝がしなり、やがて雪崩のように流れ落ちる瞬間を造形として表現します。枯れた古木は、時を経てなお凛と立ち、雪に耐える松を詠んだ古歌の情景を思わせます。厳しい季節の中に潜む強さと、その先に訪れる春へのかすかな兆しを内に秘めた一作です。

PROFILE

盆栽アート作家 鈴木辰 SHIN SUZUKI

1988年、名古屋市生まれ。再生盆栽アート『WITHERS』作家。日本再生盆栽協会代表理事。幼少期より自然に親しみ、大学でランドスケープ・デザインを学ぶ。2012年から約3年をかけて世界33カ国を巡り、日本の盆栽が“BONSAI”として国境を越え評価される姿に触れ、その文化が内包する時間と精神性に強く惹かれる。帰国後はアパレルブランドを立ち上げ、盆栽の造形美をグラフィックとして再解釈。やがて、盆栽園で枯れた盆栽が廃棄される現実に衝撃を受け、2023年、「枯れてなお美しい」をコンセプトに再生盆栽アート『WITHERS』を創業。寿命を迎えた盆栽に新たな表現を施し、時間を継承する作品として再構築している。国内百貨店での展示販売のほか、ニューヨークやベトナムなど海外でも作品を展示。バリ・グランビタン宮殿へ作品を献上。可児市美術展、美濃加茂市美術展優秀賞受賞。GIFU IDEA PITCH CONTEST最優秀賞受賞。

公式サイト:withers.jp

Edit:RYOTA KOUJIRO Text:SUI TOYA, MAYUKA KUBOTA