BEYOND WORDS 鉢に重なる、百年の景色

COLUMN

盆栽は、小さな鉢のなかに自然の風景と長い時間を映し出す、「小宇宙」とも表される芸術です。何十年、時には何百年と受け継がれ、その姿に想いや物語が重ねられていきます。本特集では、盆栽の境界線を押し広げる2人に注目し、盆栽の現在とこれからの可能性を探ります。

100年を継ぎ、次の100年へつなぐ——山田香織が見つめる盆栽の美と時間

創業100年以上の歴史を持つ老舗盆栽園「清香園(せいこうえん)」。その五代目として歩む山田香織は、生まれた時から盆栽とともに育ってきた。100年前から受け継がれ、100年後へと手渡されていく「小宇宙」と向き合い、山田は美しさとは何か、伝統をどう継ぐのかを問い続けている。結果やスピードが優先されがちな時代にあっても、盆栽は季節に寄り添い、ゆっくりと姿を変えていく。そんな時間と向き合い続ける山田は、今何を思い、どんな未来を見据えているのだろうか。

INTERVIEW

創業100年以上の老舗盆栽園「清香園」を営むご家庭に育った山田さん。幼い頃、ご自身にとって盆栽はどんな存在でしたか。

生まれた時からすぐそばにあるもので、「特別なもの」という意識はありませんでした。例えるなら、白いご飯を毎日食べるのと同じような感覚です。意識して向き合うというよりも、気づけば触れている。盆栽のある風景が当たり前で、日常のなかに自然に溶け込んでいました。 

五代目として家業を継がれるまでの経緯を教えてください。

一人娘として育ち、言葉にされなくても、自分が継ぐ存在なのだという空気は常にありました。思春期には、逃れたいと思ったこともありましたが、その気持ちが変化したきっかけは、18歳の時に両親とともにフランスを訪れたことでした。異文化に触れたことで、盆栽もまた力強い日本文化なのだと、初めて俯瞰して見られたのです。大学ではマーケティングを学び、SE職の内定も得ましたが、私には広める役割があるのではないかと感じ、大学4年の春、自らの意思で家業を継ぐ決意をしました。

家業を継ぐことに、葛藤はありましたか。

正直に言えば、葛藤だらけでした。最終的にはポジティブに捉えられたからこそ決断できましたが、ずっと迷っていましたし、盆 栽の世界は男性 社会に近 いところがあります。当時も今も、それは大きくは変わっていないと思います。男性中心の業界のなかで、自分がどう見られるのか、きちんと相手にしてもらえるのか、不安は尽きませんでした。だからこそ、一度はまったく違う世界に目を向けましたし、自分の人生を自分で選びたいという思いも強かったのです。その葛藤を越えた先で、「やっぱり盆栽をやりたい」という気持ちが芽生えました。

家元としての責任を強く感じるのはどんな瞬間でしょうか。

責任は、生涯感じ続けるものだと思っています。ものを作る以上は、美しいものを作り続けたい。それに尽きるのではないでしょうか。継いだから責任を感じるというよりも、手から生まれるものが世に出る以上、その美しさに妥協してはいけないという意識が常にあります。私のなかでは、何かを背負っているというより、預かっているという感覚に近いですね。

盆栽は「小宇宙」とも表現されます。山田さんが盆栽を一言で表すとしたら、どのような言葉で表現しますか。

一言で言えば、ロマンを秘めた存在です。盆栽は特殊な時間軸を持ち、100年前、200年前と今を地続きに感じさせてくれます。人よりも長く生きる木は、手をかければ未来へと続いていく。一方で、若い木を育てる喜びもあります。過去と未来をつなぎ、人の時間を超えて寄り添ってくれる存在。それが私にとっての盆栽です。

今、盆栽と向き合う時間はどんなひとときですか。

感覚的に言えば、時空を行き来するひとときですね。木に触れていると、日常から少し切り離され、時間の流れがずれるような感覚があります。生徒さんからも「心が楽になる」と言われることがあり、その瞬間に盆栽の価値を分かち合えたと感じます。現実から逃げるのではなく、時間の奥行きに触れる。それが、私にとっての盆栽とのひとときです。

盆栽と自然の違い、あるいは共通点をどう考えますか。

盆栽と自然は、まったく異なるものだと思っています。盆栽はいわば、絵画のようなアートの領域にあるものです。自然そのものではなく、人が自然をどう切り取り、どう見せるか。小学生にもよく「盆栽には図画工作の要素もあるよね」と話します。そうすると、みんな直感的に理解してくれますね。盆栽は人の手による表現ですが、山の木と同じように季節が巡り、自然の摂理のなかで生きています。スケールは違っても、流れる時間や力は同じ。その自然とアートの両面を持つところに、盆栽の面白さと奥深さがあるのだと思います。

山田さんご自身は、仕事を離れたとき、どんな自然の風景に心が動きますか。

これは自分のなかでは単純明快で、「木のない風景」ですね。例えば、水平線だけが広がる海など、木が視界に入らない景色に心が動きます。木が視界に入ると、どうしても観察してしまうんです。枝ぶりやバランスを無意識に見てしまい、「あの枝は切ったほうがいいかもしれない」といったことを考えてしまう。知らず知らずのうちに、仕事のスイッチが入ってしまうんですね。

盆栽と真剣に向き合っているからこそですね。盆栽と人生が重なると感じる瞬間はありますか。

人生の浮き沈みは、木を通して日々感じています。ただ、盆栽は失敗がありません。どんな状態になっても、そこからより良い形を探していけばいい。やり直しではなく、積み重ねなのです。

盆栽は常に前向きなのですね。

そうですね。なかには、名品にはならないかもしれない木もあります。それでも、今より美しくしてあげようと思う。盆栽には「年を経るごとに美しくなる」という言葉があります。私はそれを、植物としての美しさだけでなく、精神的な美も含んだ言葉だと感じています。

なんだか、すべてがつながっている気がします。

盆栽は、1周して、また2周、3周して戻ってくるような存在かもしれませんね。過去も未来も、自然も人生も、すべてが木を通してつながっていると思います。

山田さんが思う「美しさ」とは、どのようなものでしょうか。

慰められたり、勇気づけられたり、ふと気づかされたり、誰かの心に何かが届いたときに、美しさが初めて立ち現れるのではないでしょうか。そしてそれは、完璧に整った姿だけを指すのではないと思っています。完璧なものは遠く感じますが、弱さや未完成さがあると、「ここを育てていくんだ」と未来を想像できる。私はそんなふうに、どこかに揺らぎや危うさがあるほうが惹かれますね。

盆栽のある暮らしが、日常にもたらしてくれるものは何でしょうか。

今は、何においても速さや結果を求められる時代ですが、盆栽は1年単位で動く、まったく異なる時間軸の存在です。春や冬など、季節ごとに姿を変え、自然の摂理に従って育ちます。その悠久の時間に触れることで、「今」だけがすべてではないと気づき、深呼吸ができる。盆栽は、忙しい日常のなかで、心を支えてくれる存在だと思います。

盆栽「清香園」が、盆栽に若い木や草花などを取り入れる「彩花(さいか)盆栽」を提唱された背景について教えてください。

「彩花盆栽」を最初に提唱したのは父で、1985年頃のことでした。当時はバブルに向かう時代で、盆栽の価格が高騰し、高級品として一部の人の趣味のように見られていました。父はそこに違和感を覚え、もっと身近に、一般の方にも楽しめる盆栽を提案できないかと考えたようです。ただ、父自身は伝統的な盆栽の道を歩んできた人で、「彩花盆栽」という名前と商標を残してくれた、という形でした。私が家業を継ぐと決めた時、その器を活かしたいと思ったんです。若い世代や女性に広げていくには、この考え方がふさわしいと感じ、自分なりの解釈を重ねながら育ててきました。父が蒔いた種を、時代に合わせて芽吹かせている感覚ですね。

伝統的な盆栽と、彩花盆栽の違いについて教えてください。

伝統的な盆栽は、1鉢に1本の木で自然を表現します。大自然の風景や精神性を、長い時間をかけて育て上げる世界です。そのため、完成された姿で鑑賞するには時間が必要で、ある意味では「時間を買う」ような入り方になります。一方で、彩花盆栽は、若い木や草花、野草を組み合わせることで、比較的早い段階から鉢のなかに風景をつくることができます。1本の木で語るのではなく、複数の要素で景色を描く感覚ですね。伝統盆栽が水墨画のように、余白や気配で自然を感じ取る世界だとすれば、彩花盆栽は小さな庭をつくるような、より具体的でわかりやすい表現です。どちらが優れているということではなく、あくまで表現方法の違いだと考えています。

草花などを取り入れることで、盆栽の楽しみはどう変わるでしょうか。

盆栽がイマジネーションの遊びであることを、より理解しやすくなると思います。盆栽と鉢植えの違いは、鉢のなかに景色があるかどうか。盆栽は風や光、季節を描く表現であり、鑑賞する側もどんな風景だろうと想像を巡らせます。ただ、例えば伝統的 な一盆一樹で表現する松は抽象度が高く、初心者には入り込みにくいこともあります。その点、彩花盆栽は草花が加わることで情景が具体的になり、例えば春の野原のような景色をイメージしやすくなる。特に、初めて盆栽に触れる方にとっては、理解しやすい入口になると思います。

若い世代に盆栽を届けるために意識していることはありますか。

最も意識しているのは、わかりやすい言葉を使うことです。小学生にも長年教えてきましたが、難しい専門用語や抽象的な説明では届きません。だからこそ、具体的な言葉や比喩を大切にしています。例えば、根を整理する作業を説明する時も、「髪の毛を整えるのと同じだよ」と伝えます。「髪の毛をちぎったら痛いし、きれいに整えないといけないでしょう」と。そう言うと、子供たちはすぐに理解してくれます。枝を切った後も同じです。「みんながケガをしたらどうする?」と聞くと、「絆創膏を貼る」と答えてくれます。だから木も同じで、「傷口を守るために塗るんだよ」と、想像がしやすいように具体的に説明します。

確かに、子供でもイメージできますね。

そうなんです。なぜ塗るのか、なぜ切るのかを、生活の中の感覚に結びつけてあげると、盆栽がぐっと身近になります。難しく語るよりも、「わかった」と感じてもらうこと。それが、若い世代に盆栽を伝えるうえで、いちばん大切にしていることですね。

海外の方に盆栽を教えるとき、日本との違いを感じますか。

見てきた風景も、経験してきた気候も違うので、やはり感受性のベースは異なると感じます。四季のある日本と常夏の国とでは、落葉や静寂の美しさを共有するのは簡単ではありません。同じ盆栽を見ても、受け取り方はきっと異なるのだと思います。だからこそ、海外の方に盆栽を教える時は、まず形や構図のバランスといった、アートとしての美しさから伝えることが多いですね。

海外の方に盆栽を教えるうえで、「これだけは大事にしている」という軸はありますか?

形や技術については、比較的共有しやすい部分があります。でも、日本で育まれてきた精神的な鑑賞の仕方……例えば、四季の移ろいを愛でる感覚や、余白を感じ取る姿勢、侘びや寂びの美意識といった部分を、異なるバックボーンを持つ方々とどう共有していくのか。そこは、まだ答えが出ていません。盆栽が持つ奥行きを、どう橋渡しできるのか。それは私にとって、大きな挑戦でもありますね。

日本文化としての盆栽の強みは、どこにあるとお考えですか?

一朝一夕で生まれたものではなく、1000年以上の時間をかけて受け継がれてきたこと自体が強みだと思います。時代ごとに形は変わってきましたが、本質は変わらない。100年前の人も、今の私も、盆栽を前にして水をやり、整え、人生を投影し、癒しや祈りを託している。その営みは同じです。DNAのように受け継いできた長い歴史の積み重ねが、日本文化としての盆栽の大きな強み。だからこそ大切に守り、次世代へと伝えていくべきものだと思っています。

伝統を守るとは、具体的にどのような行為だと捉えていますか。

本質を理解し、その本質を曲げないことです。ただし、形を変えないことが「守る」ことではないとも感じています。「不易流行」という言葉がありますが、変えてはいけない軸を持ちながら、時代に応じた形で届けていく。盆栽は、生活必需品ではありません。でも、人に感動を与えたり、勇気を与えたり、ふっと和ませたりする力があります。そうやって人の心に働きかけて、初めて存在価値が生まれます。必要だから買うものではなく、「欲しい」と思って求めてもらうもの。だからこそ、本質を見失わないことが何より大切なのだと思います。

読者のなかには、盆栽に触れたことがない方も多いと思います。これから盆栽を始める方に、伝えたいことがあればお聞かせください。

盆栽を難しく考えず、まずはモミジやカエデから始めてみてください。新緑、紅葉、落葉と、四季の変化がはっきり感じられ、自然のリズムを体感できます。まずは手元に置いてみること。そしてできれば、教室やお店など、伴走してくれる存在がいると安心です。1年を通して季節を感じることで、自然への感覚が研ぎ澄まされます。夏はこう守る、冬はこう備えるとわかるようになり、少し難しい樹種にも挑戦できる土台が育ちます。モミジやカエデは、強さと変化、美しさを兼ね備えた最初の1鉢にぴったりの存在です。ぜひ、そこから盆栽の世界に足を踏み入れていただければ幸いです。

掲載作品についてお教えください。

「唐楓 樹齢約80年」 冬の寒さに耐えて春を待つ姿。気温の上昇と共に新しい芽が開き、新緑の姿に。夏の緑陰、秋の紅葉も美しく、四季の変化を楽しませてくれる。

PROFILE

盆栽 清香園・五代目家元

山田香織 KAORI TAMADA

1978年、さいたま市北区盆栽町生まれ。盆栽家。NHK教育テレビ (現・Eテレ)「趣味の園芸」の元キャスターなどを務め、テレビ、ラジオ、執筆など多方面で活躍中。「盆栽の伝道師」を使命として活動、女性や若年層にも盆栽の裾野を広げた第一人者。主宰する 「彩花盆栽」教室は2024年に25周年を迎えた。清香園をはじめ東京、埼玉、神奈川、千葉の7カ所で開催する教室には約2,500人 が在籍。さいたま観光大使。

Edit:RYOTA KOUJIRO Text:SUI TOYA, MAYUKA KUBOTA